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このアパートの住人が俺を残して全員出払ってしまったのだろうか。
あるいは、いつの間にか外では雪が降りだしていて、音という音を吸いとっているのかもしれない。 この寒さなら十分ありうる。 コタツから這いだし、ついでにろくに見てもいなかったテレビを消した。 なんとなく、雪を見るなら音のない世界がふさわしいような気がしたのだ。 ガラス越しにさえ感じられる夜気の冷たさに首をすくめつつ、窓際に立つ。 もし降っていたら、ホワイト・クリスマスか。 クリスマスなんて関係ない身でありながら、妙に心がきゅっと引き締まるような、厳粛なものを感じる。 俺が南国育ちで、雪に慣れていないからだろうか。 だが、カーテンを引いてみると、外に広がっていたのはいつも通りの闇だった。 いくら目を凝らしても、空を舞う白いものは見当たらない。 「……そろそろ寝るか」 ため息のかわりにそんな独り言がもれた。 カーテンをぴっちり閉めなおし、飾り一つないわびしい部屋へと向きなおって……俺は絶句した。 見知らぬ美女が、すました顔でコタツの側に立っている。 栗色のボリュームたっぷりの髪、つくりのはっきりした顔、すらりと伸びた足。 掃き溜めに鶴、という形容を使うのはためらわれるような日本人離れしたタイプだ。 孤独のあまりどうにかなったのかと思ったが、頬をつねり、目をこすっても消えない。 馬鹿みたいに突っ立っている俺を尻目に、美女は悠々と辺りを見回している。 そして、満足そうにつぶやいた。 「この部屋なら、間違ってもサンタクロースが来る心配はないわね」 この一言に、俺にかかっていた『美』の呪縛が解けた。 人の部屋に無断であがりこんできて、いちゃもんをつけるなんて、どういう神経だ、この女。 「あ、あんた、どうやってこの部屋に入ってきた?」 追い出す前にこれだけは聞いておかなければ。 どこもかしこもきちんと鍵をかけて戸締りしておいたはずだ。 「どうしても説明しなくちゃいけないかしら? あまりあなたのお気に召さないと思うけど」 「気に入るか入らないかは、俺が決める」 せいいっぱい語気荒く言い放つと、女は挑戦的な視線をちらりとこちらに投げて口を開いた。 「長々と説明してもわからないだろうから、簡単に言うわね。次元の穴をくぐってきたの」 再び、絶句。 気に入るとか入らないとか、そんなレベルの問題じゃないぞ、これは。 俺をからかっているのか、それとも本気で言っているのか。 どちらにしても、厄介事のにおいしかしない。 一も二もなくとっとと追い出すべきだ、と理性は警告している。 だが、それに反して口は勝手に次の質問をしようとしていた。 「えー、それはそれとして。一体俺に何の用だ?」 「あなたに特に用はないけど、隠れ場所を探してるの。追われてるのよ」 やや作りごと臭いが、さっきよりはまともな答えだ、とちょっと安心したのもほんの束の間。 つい突っ込んでしまったのが間違いだった。 「追われてるって、誰に?」 「サンタクロース」魔法少女 抱き枕 こんな大物の名前が出るとは。 ……ええい、毒を食らわば皿まで、だ。 「なんでよりによって俺の家に?」 「クリスマスが全然ないから。リースとか、ツリーとか、ローストチキンとか、そういうものはサンタクロースを引きつけるの」 少しのよどみもなく、確信を持った口ぶりで女は話す。 そのくせ、俺に信じさせようとか、俺を説得しようとかいう熱意は少しも感じられない。 そこが逆に一種の真実味のようなものを醸し出している気もする。 俺は最後にとっておいた質問を発した。 「あんた一体、誰なんだ?」 「人形よ。サンタクロースの袋から逃げ出してきたの」 確かに、全身整形疑惑を引き起こしかねないほど完璧なスタイルだな。 もはや何も言うべき言葉が見つからず、そんなくだらない感想しか浮かんでこない。 俺の沈黙を不信の表れと受け取ったのか、女は不満げに頭を振った。 「信じてくれなくても結構。私はここから動かないから、追い出したいなら力づくでどうぞ」 最後の「どうぞ」を嫌味なほど強調してしめくくると、それきり口をつぐむ。 「ここから動かない」の言葉通り、座りもせず、邪魔にならない部屋の隅に移動もせず、俺の目の前で堂々の棒立ち。 本来ならそれなりに滑稽なシチュエーションのはずだが、微塵もおかしみなんて湧いてこない。 しゃべるのをやめて静けさに包まれた女の顔が、比喩抜きで本当に人形に見えるのだ。 黒々と光る瞳、口紅をつけて生まれてきたのかと思わせるような完璧に塗られた唇、とおりすぎた鼻筋。 心の深くから、よどんだ空気を閉じ込めた泡のように、忘れかけていた恐怖感がふっと浮かびあがってくる。 そうだ、俺は子供の頃、人形が怖かった。 見えるはずのない目で何でも見通しているような気がして…… 「居座るつもりなら、コタツに入れ。見ているこっちが寒い」 気がつくと、俺は思ってもいなかった言葉を口にしていた。 しかも、言葉面とは裏腹に半ば懇願するような調子で。 「じゃあ、お言葉に甘えて。別に私は寒さなんて感じないんだけれど」 嫌味なほど長い足をコタツに押し込みながら、女は初めて笑みらしきものを浮かべた。 唇だけの温かみなんて欠片のない笑いだが、人形そのものの無表情の後に見ると、なんだかほっとする。 女と向かいあってコタツにおさまり、冷えきった体に再び熱が巡りはじめると、常識的な判断力が戻ってきた。 さて、これからどうするべきか。 コタツに入れと一旦言ってしまった以上、今さら追い出すというのは気が引けるし、かといって正体不明の相手と狭い室内で二人きり、というのはなんとも具合が悪い。 いくら美人でも、だ。 「いつまでここにいるつもりだ?」 「夜明けまで。朝になるとサンタクロースは北へ帰るから」 単刀直入に俺が聞くと、女も簡潔に答えた。 いつまでも居座るつもりじゃないとわかって、とりあえず一安心だ。 あとは相手を刺激しないように、大人しく夜明けを待つ……というのが無難ではあるのだが。 どういうわけか、女の話をもっと聞きたくてたまらない。 サンタクロースに追われてるだの、自分は人形だの、そんな途方もない話、向こうから一方的にまくしたてられたのなら辟易するだけだろう。 が、ちょっとちらつかせてから引っ込められると、妙に好奇心を刺激する。 俺はしばらく考えた末、率直に疑問をぶつけることにした。 必要な説明は全てすませました、とでも言いたげな、無関心でかつけだるげな女の態度を見る限り、遠回しに聞き出そうとしても無駄だろう。 「あんた、本当に人形なのか? 俺には人間にしか見えないんだが」 立っていた時、本当に人形に見えたことは黙っておく。 女は面倒くさそうにうつむけていた顔を上げ、冷やかに眉をひそめた。 「見えないのなら、自分の目を信じればいいでしょう。それとも、人形だと証明しろとでも言うの? ナイフで手を切るとかして」 「いや、そこまでは言ってない」 思いっきりぶんぶんと首を横に振る。 どんなにわずかでも、流血なんてごめんだ。 人が流しているのを見ただけで、血が苦手な俺は気が遠くなってしまう。 「あなただって、自分が人間だと証明しろ、なんて言われたら困るんじゃない? それと同じよ。私は自分が人形だと知っている、それだけで十分」 女の声はあくまでもよどみなく平板で、憎々しいほどの自信に満ちている。 俺は思わず、根本的な疑問を口にした。 「でもさ、人形はしゃべったり動いたりしないだろう、普通。それこそ、メルヘンの世界でもない限り」 途端に、女の目がぎらりと光る。 「そこよ。私の次元から見たら、あなたの次元こそがメルヘンの世界なの。あなたの次元に来てはじめて、私は自我を持つことができた」 そう言えば、「次元の穴」とかなんとか言っていたっけ。 せいぜい十分くらい前のことなのに、大昔の出来事のように感じがするが。 ついていけない俺を置いてけぼりにして、女の突拍子もない説明は続く。 「本来の次元の中では、私は本当にしゃべることも動くことも、考えることもできない人形だった。工場で作られ、サンタクロースの袋の中で、誰かに配られるのを待っている人形」 声は静かなままだが、女の瞳がわずかにゆらいだ。 その時のことを思い出すと、屈辱や苦痛を感じるのだろうか。 「二つの偶然が重ならなければ、私も今頃、どこかの靴下の中に突っ込まれていたでしょうね」 「二つの偶然?」 「袋の、ちょうど私のいたあたりに穴があいていたこと。そして、私の次元とあなたの次元とを繋ぐ壁にも穴があいていたこと。サンタクロースのそりが操作を誤って次元の穴に落ちた時に、その衝撃で私が袋からこぼれおちたの」 女は少し息をつぐと、続けた。 「どんな風に落ちていったのかは、よく覚えていない。けれど、私は気がつくと意識を持った状態で、街の中に倒れていた。私とサイズのぴったり合った、人形の街のように見えるところに」 どうも光景が想像できなくて、俺は首をひねった。 「人形の街」だって? この辺りにそんなところがあっただろうか。 それに、「サイズがぴったり」というのも、どういうことかさっぱりわからない。 混乱する俺の耳に、女の淡々とした説明が流れ込んできた。 「そういえば、言ってなかったわね。私とあなたの次元はよく似ているけれど、大きさがまるで違うの。私の次元の人間は、あなたよりもずっとずっと、大きい」 「じゃあ……あんたの次元の人形が、俺と、この次元の人間と同じサイズってことになるのか」 無言で女はうなずく。 俺は背筋に冷たいものがはしるのを感じた。 ガリバー旅行記に出てくる巨人が、目の前の女と、そして俺を持ちあげて見比べているところを想像してしまったのだ。 片方は人間で片方は人形、のはずなのに、区別はつかない。 いや、そもそも人間と人形をわけるのは何なのだろう。 女がこの次元に来て自我を得たというのなら、逆に俺が向こうの次元へ行ったら、自我を失って人形になってしまうのだろうか。 ぶるりと頭を振って想像を振り落とし、俺は努めて楽天的に振舞おうとした。 「ともかく、うまく逃げてこられてよかったな。サンタクロースだって、こんなむさ苦しい男の家に隠れてるだなんて、思わないだろうし」 押し黙ったまま、女はにこりともしない。 代わりに、唇に指を当てて、低い声でささやいた。 「サンタクロースが、くる。こっちに近づいてきている」 「まさか!」 「そのうちわかるわ、嫌でもね」 そう言われると急に不安になってくる。 俺は息をつめ、五感を研ぎ澄まして待ち受けた。 これまで気にも留めていなかった色々が、細かくなった意識の網目にかかってくる。 時計の針が発するかすかな音、テレビの上にうっすら積もったほこり、台所から漂ってくる生ごみの臭い。 なんだ、何も変なところはないじゃないか。 臆病なウサギみたいにびくびくと警戒したりして、馬鹿みたいだ。 緊張の反動か、おかしさが腹の底からこみあげてくる。 部屋に重たくのしかかっていた沈黙を破って、俺はややぎこちない笑い声を響かせた。 笑いつづけているうちに、段々とぎこちなさは消えてなめらかになり、より容易に笑えるようになってくる。 こんなに思いっきり笑ったのは、久しぶりだ。 柄にもなく、クリスマスソングでも歌いたい気分。 と、絶望をにじませた女のつぶやきが聞こえてきた。 「ほら、来た」 言われてようやく、気がついた。 この高揚感、わけもない幸福感は異常だ。 サンタクロースが近づいてきている証拠が、これなのか。 だが、考えがまとまる前に、俺の口が意志にそむいて、独りでに陽気な雄叫びをあげていた。 「メリークリスマス!」 「メリークリスマス!」 応じたのはもちろん、女ではない。 陽気で、恐ろしく年老いていて、有無を言わせぬあふれんばかりの親切心を溢れさせている声。 サンタクロースの声だと、一目ならぬ一声でわかった。 「姿を見せないのは失礼だとは思うが、我慢しておくれ。わしが姿を現したら、このかわいらしい部屋が跡形もなく崩れてしまうだろうからな」 声はのんびりとした口調で言うと、くすくすと笑った。 それにつられて、俺の口からも似たような笑いがもれる。 気をつけろという意味の相図なのか、女はこちらに向かってしきりに目配せしているが、とても気を張ってなんていられない。 サンタクロースの声には、警戒心という氷の鎧をとかしてお湯に変えてしまうような、一種の魔力がある。 俺だけでなく、テレビやコタツのような無機物ですら、声に命令されれば喜んで踊り出すだろう。 「ずいぶん殺風景な部屋じゃないかね、ここは。年に一度のクリスマスイブだっていうのに。おかげで、ずいぶん探すのに手間取ったぞ、人形さんや」 「人形」という言葉に、女の肩がびくりと震えた。 サンタクロースが話しだしてからというもの、女は一度も言葉を発していない。 すっかり絶望して、話す気力がなくなっているのか、それとも。 もしかして、もう既に元の状態、話すことも動くこともできないただの人形に戻りかけているのだろうか。 「さて。夜は短く、プレゼントを届けるべき子供たちは多い。慌ただしくてすまんが、人形を拾って退散するとしよう」 巨大な見えない腕を差しのべようとでもしているのか、空中で何かものの動く気配がした。 このままでは、女は連れ去られ、誰かへのプレゼントされてしまう。 俺は思い切って、口を開いた。 サンタクロースの及ぼす影響力から抜け出しきれず、事の重大さとは不釣り合いなひどく浮ついた調子になってしまったが。 「あのう、サンタクロースさん。こうやって知り合えたのも何かの縁ってことで、一つお願いを聞いていただけませんかね」 「ん? もしかして君も、何かプレゼントが欲しいのかな?」 「いえ、その、そうじゃなくて、彼女を」 口ごもりながら女に視線を向けると、爆発的な笑い声がした。 「人形を欲しがるのは女の子かと思っていたが……まあ、いいか。最近は何が普通で何が普通じゃないのか、わしのような年寄りにはさっぱりわからんからな」 「いやそのちょっと、俺にそういう趣味は……」 「いらないのか? じゃあ、持って行くぞ」 声とともに、女の体が揺さぶられ、空中に持ちあがる。 何の重さも感じさせず、ひょいっと。 俺は慌てて立ちあがると、腕を振り回しながら声を張り上げた。 「ちょっと待って、いります、いります!」 「本当に欲しいのか、この人形が?」アニメ 抱き枕 言葉が上手く出てこず、首をぶんぶんと縦に振る。 すると、女の体はどさりと投げ出された。 本当の人形のように、悲鳴一つあげないまま。 「わかった。ではな、よいクリスマスを!」 ぼう然とする俺と、横たわったままの女を残して、声はかき消えた。 さっきまで部屋中に充満してい賑やかでかつ異様な、力に満ちた気配も消え、祭りの後のような寂しさ、心もとなさがひしひしと満ちてくる。 「やれやれ。緊張したけど、思ったよりあっさりと追い払えたな」 なんとか自分の気を引き立てようと、わざとぶっきらぼうに言いながら、俺は女の側にひざまずいた。 よかった、ちゃんとまばたきしている。 だが、その瞳は俺の方には向けられず、天井を力なく見つめたままだ。 「大丈夫か? 痛かっただろ」 声をかけても、やはりこちらを向いてはくれない。 痛々しいほどに赤い唇から、弱々しいつぶやきがもれた。 「……私はやっぱり、人形ね。サンタクロースに向かって、なんにも言えなかった。もし追いつかれたら、さんざん悪態をついて、できる限り抵抗してやろうって思ってたのに」 「そんなこと、ない」 俺の否定の言葉は、届かない。 女の声が、どんどん遠くなっていく。 「それに、私は受け渡されてしまった。サンタクロースからあなたに、人形として」 最後の言葉が発され、口が完全に閉じた、次の瞬間。 女の体がすっと小さくなった。 膨らんだ風船から空気が抜けるよりももっと速やかに、まるで最初から決められていたことのように。 あとには、小さな人形だけが残った。 のろのろと、恐ろしくのろのろと、それを手に取ってみる。 栗色のボリュームたっぷりの髪、つくりのはっきりした顔、すらりと伸びた足。 女とそっくりで、ただ全てが悲しいほど小さい。 そしてその形のいい唇は、いくら待っても決して開かれることはないのだ。 気がつくと、俺は何も上に羽織らず、靴を履いただけで外へと出ていた。 冷気が体を突き刺し、風が髪を、肌をぶつが、足は止まらない。 異なる次元が一つだけなんて、そんなのはありえない。 きっと別の次元があるはずだ。 この次元よりも小さくて、今の彼女にぴったりの大きさの── 彼女が人間に戻れる次元が。 PR |