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【2024/05/17 22:30 】 |
一粒の涙が零れ落ちる
ドラクロアはハンミルの丘から町を眺望していた。彼には全てが見えてしまう。自分が望むと望まないと関係なしに。
 彼は今宵を境に起こり得る未来に震撼する。
 丘から見える眺めは何も変わらない。しかし、確実に闇は蠢(うごめ)こうとしている。
 カサリと湿った草を踏みしめる音がした。
 ドラクロアは来訪者に向かって笑みを象って見せる。
「香水を下さるかしら」
 突然の来訪者は素っ気なく金貨を差し出す。
 ドラクロアはシルクハットを取り去って会釈すると、懐から一つの小瓶を取り出した。魅惑的なクリスタルで出来た小瓶は月夜の明かりを受けて煌めいている。来訪者はそれを半ば奪い取るように掴むと、ドラクロアの掌に金貨を落としてそそくさと丘を後にした。
 ドラクロアはその人物の後ろ姿が見えなくなるのをじっと見守っていた。彼は弓形(ゆみなり)に唇を象ると、唄うように言った。
「死者と生者。真の魔は果たしてどちらか」

黒い城と呼称されるサンアット邸の玄関フロアにて、リデラは思いもよらない尋ね人に驚きを隠せなかった。
 本当に半年ぶりくらいに向かい合ったスーザン・アルファースは、リデラと目を合わそうとしない。ペリドットの瞳は伏せられている。だが、右横にいるボルドに促されるとスカートの裾を摘まんで簡素なお辞儀をした。
 スーザンの左横にはランス・ペダモーの姿もあった。彼もまたスーザンに合わせてお辞儀をする。
「お二人とも、この邸で働きたいと申し出てくれたのです。私はぜひ雇い入れたいと考えているのですが、リデラ様のご了承をと思いまして」
リデラはそれを快く受け入れた。アニメ 抱き枕
 実際、リデラがサンアット公を継いでからというもの税の改正やら法の改正やら、近隣有力貴族とのパーティなどで邸内は人手が全く足りていない状態だった。だから、二人の申し出は素直にありがたかった。
 リデラのもとで働きたいと言ってくれる志願者は後を絶たない。しかし、彼はあまり自分の周りに人を置くのを好まなかった。策謀渦巻く中にいるのは、王都にいた頃だけで十分だ。
 しかし、スーザンやランスならば話は別である。
 リデラは、彼らに負い目がある。
 自分の父が行なった所業のせいでスーザン達が過酷な道を歩んでいるのは火を見るより明らかだ。そんな彼らの待遇を少しでも良くしてやれたらと常日頃からリデラは思っていた。
 同情の念を示せばスーザン達の自尊心は傷付くだろう。だから、リデラは敢えて自分から邸で仕事をしないかとは言わなかったが、心の中ではこうなることを望んでいた。
 リデラは去り際、ボルドに耳打ちした。
「ボルド、二人には最良の賃金を渡すように。きちんと働いていれば賃金の上限は問わず出してやれ」
「かしこまりました」
 ボルドは恭しく頭を下げた。
「じゃあ、二人ともよろしく頼む」
 リデラは笑顔で言った。
 スーザンとランスは「はい」と歯切れよく返事をした。
 二人共、貴族の邸宅で働くのは初めてのため、誰かしらが彼らの面倒を見ていた。スーザン達は互いを牽制するかのように常に一緒にいた。まるで互いを監視しているようである。
 あくる日、午後のお茶の時間のことだった。
 自室で書類の山と睨み合っているリデラのもとへスーザンが訪れた。彼女は給仕達が着ている黒地のワンピースを着ている。丸襟は清潔感のある白色だ。
 リデラは書類を持つ手を休めて椅子に凭れかかった。
「失礼、致します」
 丁寧な言葉遣いにも、紅茶を運ぶのにもまだ慣れていないのだろう。スーザンの動きはぎこちなかった。彼女だけがリデラのもとに来るのは初めてのことだった。いつもはスーザンとランスがセットでリデラのもとを訪れていた。
 お茶の準備は、いつも慣れた手つきでランスがしていた。ランスは元貴族だ。紅茶のたしなみもある。彼の淹れる紅茶はボルドが淹れるそれと同じくらい美味しい。
「大丈夫か?」
 スーザンがあまりにおぼつかない足取りで紅茶とお菓子を持っているので、心配になって声をかける。彼女は緊張した面持ちで小さく頷いた。
 コトリと音を立ててリデラの机上にティーカップと丸皿が置かれる。そして、スーザンはそれらを手で上品に指し示しながら簡単に述べた。
「今日はミルクティを準備致しました。お菓子はティラミスです」
「ありがとう」
 ランスは紅茶を目の前で淹れながら、その茶葉の由来やお菓子の由来を淀みなく話してくれたが、スーザンはそんな余裕も何もないようだった。
 当たり前だ。この邸に勤め出してから、まだ数週間しか経っていない。完璧にこなせと言う方が酷だろう。
 しかし、正直自分の給仕に不慣れなスーザンを寄越すとはボルドらしくないな、とリデラは思った。
 ボルドはリデラが幼い頃から共にいるが、彼は仕事に完璧を求める性質がある。なので、自らの主人であるリデラに対して完璧な業務を行なえない少女を寄越すなど今までなかった。
(余程、仕事が回っていないか。それとも、僕に気をつかったのか)
 リデラがスーザンのことを気にかけているのを、ボルドは気が付いている。
 それとなく何度か訊かれたことがある。
 頑なに否定してみせたものの、ボルドは終始にっこりと笑っていた。
「仕事、忙しそう、ですね」
 スーザンはリデラの机に積み上げられた羊皮紙の山を見上げた。リデラは手元にあったインクと羽ペンを引き出しに仕舞い込む。
「そうだな。でも、これも町が良くなるためだから」
「…………あなたは、変わった」
 彼女はリデラの目を見ずに床へと視線を落とす。その表情は硬質で何の感情も読み取れない。
「それはいい意味でか」
「うん」
 素直に、嬉しく感じた。
 スーザンと出会った当初のリデラは、自分の貴族という地位も、何もかもが気に入らなかったが、何か行動を起こすでもなく毎日をただ無意味に過ごしていた。いずれ家督を継ぐことになっても、リデラは父のやり方を引き継ぐ心づもりでいた。
 それが、当たり前だと思っていた。
 その考えを変えることが出来たのは、スーザンに出会えたからだ。
 道端で無表情で花を売ろうとしている彼女を見た瞬間、いても立ってもいられずに声をかけた。少女の両親を自分の父が殺したのだと知った時の衝撃は今もまだリデラを苛(さいな)んでいる。
「スーザン、約束する。これから先、決して人々が貴族の犠牲にならないことを。……少なくとも、僕がサンアット家当主でいる間は、絶対に苦しい思いなんてさせない。町の人達が日々の暮らしに怯えることがないよう計らうつもりだ」
 ガラス玉同然に見えた感情のないスーザンの瞳に色が宿る。
 彼女は今初めてリデラがここに存在することに気が付いたような表情を形成した。苦虫を潰したような、複雑な感情の入り混じった顔。
 貴族や裕福な娘のように着飾っているわけでもなく、美しいわけでもない。ただの素朴な少女。
 しかし、リデラにとっては彼女だけが彩りを持って見えた。
「ありがとう」
「え……?」
「お前がハンミルの丘で父の愚行を僕に言ってくれなかったら、僕は何の行動も起こせていなかったはずだ。お前のおかげで、現状を変えようと思えた」
 真摯(しんし)にスーザンを見る。スーザンの瞳が揺らいだ。
「……紅茶が冷めてしまった。新しく注ぎ直します」
 スーザンはそう言ってリデラに出したティーカップを下げようとする。それをリデラはやんわりと制した。
「いや、構わない」
 リデラはスーザンからカップを取ると、一気に紅茶をあおる。
「駄目!」
 スーザンの叫びは一足遅かった。
 リデラの視界が渦を巻く。激しい嘔吐感が募った。まともに立っていられず、リデラはカーペットの上に膝をつく。
 ――毒だ。
 そう気付いたのは、昔王都で一度毒殺されかけたことがあったからだった。その時は毒の含有量が少なかったため大事に至らず済んだが、今回のものはたいそう濃いようだ。
 息さえ満足に吐けない。
 自分は死ぬのだと、薄らいで行く思考のふちで思った。
 リデラは立ち竦むスーザンの後ろから現れた人物を見た瞬間、脱帽した。
 その人物は氷のような眼で床に倒れ伏すリデラを見下ろす。
「操り人形でなくなったあなたなど、要らないのですよ」
 ボルドは冷え冷えとした表情のまま嗤った。霞む意識の中、遠くでランスの悲痛な叫び声が聞こえたが、両目の瞼はとても重く、持ち上げることが困難だった。

次にリデラが目を覚ました時、彼はベッドの上にいた。
 頭痛がする。
 体の血管全てがたぎるように熱い。
「手は尽くしました。ですが、回復する見込みは……」
 ベッドの脇でリデラ専属の医師がそう言っているのが耳に届く。医師から深い溜め息が洩れた。
「――……先生、一体リデラ様はどうしたというのでしょうか。やはり、執務に追われていたから、でしょうか。それとも、リデラ様を良く思わない何者かが……」
 白々しく、ボルドが医師に問うている。
「こればっかりはわかりません。……毒殺かもしれないと調べてみたのですが、毒を飲んだ時に出る兆候は何も出ていませんし」
「そうですか」
「……また来ます。ボルドさん、今日はこれで失礼させて頂きますよ」
「先生。お見送り致します」
 二人の足音はリデラから遠ざかり、やがてドアを閉める音が響いた。
(――――ざまあないな)
 リデラは瞼を上げた。眩い光に眉根を寄せる。視界に入って来たのは、スーザンだった。
 二人とも無言だった。開け放した窓からは春の香りと鳥のさえずりが流れ込んでくる。
 リデラは全身の力を振り絞って上体を起こした。枕元の脇にある丸椅子に座っているスーザンは微動だにせず、リデラを凝視している。
 リデラは彼女を抱きしめた。今になって、死に際になって、ようやく自分の気持ちを理解出来た。
 何故、スーザンに嫌われたくないと思ったのか。何故、心配していたのか。何故、半年も喋っていなかったのに片時も忘れられなかったのか。
 表情のない少女。心が欠落した少女。初めて見た時から気になっていた。何故、こんなにも存在を意識していたのか、ここまで窮地に陥らねばわからなかった。
 自嘲の笑いが込み上げてくる。
「多分、僕はお前のことが好きだ」
 今更の告白。オリジナル 抱き枕
 その科白を吐いた途端、スーザンが突如震え出した。
 力の抜けたリデラは彼女にしなだれかかる。少女はリデラを抱きしめ返した。
 それが嬉しくて、リデラは彼女の頬に手を添えると唇を寄せた。羽のように軽いキス。
 スーザンはそれを拒否しなかった。
「ごめん」
 それがリデラの最期の言葉となった。
 リデラの体からふっと力が抜け落ちる。心臓が動くことをやめ、呼吸が止まる。
 スーザンは彼の体をなおも抱きしめていた。
 彼女の目から一粒の涙が零れ落ちる。それは後から後から零れ落ち、止まらない。



 ――ねえ、これが本当に望んでいたクライマックスなの?
 ――あなたは本当に彼がこうなってほしいと思っていたの?
 美しい娘は、目にいっぱいの涙を溜めて幼い少女を責め立てる。
 少女は答えない。彼女の目にも涙が光る。
 主役の死を知った役者達は茫然と舞台に姿を見せる。
 支配人はそれを客席から見て、手を叩いて嗤っていた。彼の哄笑は静まり返るホールの中で不気味に響いていた。

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【2011/01/11 11:39 】 | 小説
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