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【2024/05/21 11:24 】 |
最後の妻のメッセージ
メールを通じた会話しかしなくなったのは、俺のちょっとした「癖」に対する妻との口論がきっかけだった。
 会話をしている時、俺の口から「ぷす、ぷす」という音が聞こえる、というのだ。話のセッションごとにまるで句点を打つかのように、下品で、年寄りくさい空気が口の端っこから漏れている、と。

 一体、どのタイミングでそんな音が漏れているのか自分では全く自覚がない。「また『ぷす』って言った」と妻に指摘されて振り返ってみても、どれがその音なのか分からない。別に太っているわけでもないし。もしかすると口のたがが緩み始めているのかもしれない。しかし四十半ばで口周りの筋肉が弱ってきたというのも情けないし、考えたくもない。

 「気のせいだよ」と言っても、妻は「嘘。絶対そう言ってるわ。彩に聞いてごらんなさいよ」と、半ば切れ始める始末。
 アニメ 抱き枕そうこうしているうち、我々は口論となった。妻にとってその音は、お新香臭い年寄りを養っているかのような、不吉で不快な音のようだ。そうは言っても、鼾みたいに、それを発している本人に何の自覚もないのだから対処の仕様がない。

 「幻聴だよ」と俺。
 「幻聴なんかじゃないわよ。あれだけの息を漏らして無自覚っていう方がおかしいわ」と妻。
 「なら、録音でもして聞かせろよ」
 俺もいい加減頭にきてそんな言い方をしたものだから、妻の目の色がいよいよ変わった。
 これ以上は売り言葉に買い言葉、もはや「口から漏れる音」なんてテーマはどうでもよく、結婚生活二十年の間に蓄積された日ごろのあらゆる不平不満を妻は間髪入れず猛然とまくしたてる。
 こちらの出方によっては致命的な喧嘩になることは目に見えていたので、最終的には俺が折れることにした。少なくとも妻と口論することは、平穏無事な日常生活を望む俺にとってメリットなど何一つないからだ。

 そう、俺は確かに「ぷす、ぷす」言っている。肥満中年が息を切らすがごとく妙な息を口から吐いている。
 いや、そこまで妻が言うのだから本当にそうなのだ。単に、その事実を俺が認めたくないだけなのかもしれない。
 もう若くない。顔には小刻みな皺が増え、腹もぽっこり膨らみ、バリアフリーの廊下で躓き、そして何より、口から下品な息を漏らす。

 そんなことがあってから、俺は家にいる間はもう口を開くまい、と決めた。言葉を発しなければ、その嫌な音は出てこない。あの音さえなければ、俺も妻も、余計な喧嘩をせずに済む。

 そこで、得意な訳ではなかったが、「今後会話は携帯メールで行う」というルールを自棄っぱちに提案したところ、妻からも娘からも何の反論も抵抗もなくあっさり承諾された。
 自分で提案したくせに、その二人の反応には少なからず驚きと寂しさを覚えたが、それだけ例の音を嫌がっているということなのだ。

 その日以降、意思の伝達には全て携帯メールを使うという、同居家族としては恐らく全国でも初の試みを開始した。
 ちなみに、音声による最後の妻のメッセージは「寝る前に戸締りだけはちゃんとしといてよ」であった。
 それから3ヶ月の月日が経過しているが、何ら不便を感じることもなく、実にスムーズに家庭生活は進捗している。

 口論(メールでやる場合は「メル論」とでもいうのだろうか?)になりそうな時があっても、本文をかちかち打っている間に、妻への怒りは風船が萎むように収まってしまう。
 「怒り」は口ではすぐに表現できても、メールとなるとこれがどうして、なかなかもどかしい。
 感情の赴くまま「怒り」を言語化し素早くボタンを押し込んでいくという作業は指が大きく不器用な俺には不可能であり、最後は思うように文字が打てない自分自身に怒りの矛先が向けられる有様で、妻への反論などもうどうでもよくなってしまう。

 ということで、それを機に妻との諍いは見事なまでになくなった。メールを使い始めてからは「ぷすぷす言ってる」発言もなくなったし、勉強しない娘に落ちる妻のヒステリーも明らかに減った。
 もっとも、娘へのヒステリーは俺に対する不平不満のはけ口、当てつけであることが多いわけだが、俺への怒りが沈静化した分その機会も減り、家族皆すこぶる調子がいい。

(俺)NO残業デー。上司からお誘い。9時コース!

 会社の正門を出ると、俺はいつものように定型文を呼び出して妻に送る。妻からの返信は大抵速やかだ。まめだなあと思う反面、単に暇なだけかとも思う。

(由美子)最近残業少なくない? もう少し稼いでくれないと、彩の学費が…

(俺)今月は仕事少なくて残業する言い訳がつかないよ。こんな時に残業してると、逆にこいつ能力ないんじゃないかと思われる。

パチュリー 抱き枕(由美子)実際そうでしょ。それなら飲み会も晩酌も控えてもらわなくちゃね。

(俺)上司の誘いじゃ断れないよ。世知辛い世の中だからね。

 いきつけの店で、いつもの通り会社への愚痴をさんざん聞かされたあげく、1円単位までの正確な「割り勘」にさせられた俺は、ラッシュ並みに混雑する電車の吊革に最後の力を振り絞って凭れていた。
 確かに仕事は芳しくない。産業用機械を売っている会社だが、取引先の海外移転に伴って国内需要は冷え込んでいた。
 ここ数年、定期昇給はストップ、スズメの涙程のボーナスからも社会保険料ばかりがざっくり引かれ、住宅ローンと教育費に追われる我が家の家計は、当然のことながら逼迫している。
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【2011/03/02 11:06 】 | 小説
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